お母さんがアルツハイマー型認知症(初期)と診断を受け、診断を受けるまでも私が率先して地域包括センターに行くところから始め、今は都内のでっかい病院で通院、検査の日々です。
母の認知症が判明してから、本当にイライラしてて、正直に言うと全然母のことはどうでもいいからこんなに献身的に付き添いやフォローをしてて全くやりたくないのに、仕事を休み、1円にもならないこの時間。
とか思いながらやってる。
頑張ってイライラしないようにしてるけど、やっぱしちゃうんだよね。
いつ終わるんだろう、早く終わらないかな。
なんで認知症になったんだろう。
認知症と言うのはつまりボケてるってわけで、軽めの気狂いの相手してるって感じ。
脳が傷んでる、そう言うことです。
脳が傷んでるならそれはもう淘汰されるべきで、寿命ということで、治療の意味なんてないんじゃないの。って思ってる。
医療の進歩は素晴らしいけど、この医療費や健康に関する色々は、次世代に回せばいいのにって思っちゃう。
後期高齢者を生かすことに何の意味があるの?って結構本気で思ってる。
認知症は良くなりません、現状をなだらかに維持していくだけ。
一日中考えちゃって、囚われてる日々です。
そんな中、ふと、今日朝清掃の時に思ったんだけど、「これも因果。そしていつか終わる。」ってパッと浮かんだんだよね。
話は少し逸れるけど、友人(みたいな人)が彼に振られたらしく、ネガティブな事ばかり言ってる。
ラインしかしてないけど、多分面と向かって話してもきっと後ろ向きな言葉しか出てこない。
彼女と知り合って2年くらいかな。
彼には振られてしまったけど、私は最初からなんとなく予想できた。
同じようなことを繰り返して、言い方キツイけど学びがないな、と見てて思う。
人から学ぶしか、人は学べないって思うんだけど、その学びを否定してるような節を感じる。
頑なに自分の意見を変えないと言うか。
こんな感じなら、変わらないなら、未来も変わらない。
同じような結果、同じような波しか乗れない。
そんなふうに見てた。
私にもきっと、新たな波が今来てる。
試練の波?我慢の波?
因果があり、この経験があるんじゃないかな。
そして、この苦悩は一生続かない。
一生のうちの少しの期間だ。
この経験はきっと意味があるんだろう。
本当に嫌だけど、仕方ない。
仕方ない、日々の幸せを忘れないで、忍耐力をつけながら生きていこう。
一気にバーっと書いたから、ちょっと直すかも。
結構際どいこと書いたかもしれない。
もし自分が認知症になったら、誰もケアしてくれる家族はいなさそうだし。
もし、そうなった時、また何か思うのかな。
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