2020/04/26

寒いです、

お酒を久しぶりに飲んで寒い。
お母さん元気でいて下さい。

小杉湯に行った。
気持ち良くて天国で、幸せで涙が出ました。
自転車がパンクした気がします。
明日は出社します。

友人に感謝してる夜。

2020/04/20

自分に会いにいく

山口一郎さんのインスタグラム見てたら、こんなことが書いてあった。
「心の中に、ライブの時にしか現れない自分が確実に存在していて、その自分に会う事が出来ないのは本当に寂しい。」

自分にも、そんな自分がいるのかなと考えてみた。
居るかもしれない。
その時の自分を知る人は、家族でもなく、友達でもなく、でもとてもパーソナルな関係の人だったりする。
自分にも、そんなふうに自己を見せてくれる人がいたら、ちょっと嬉しいかもな。
でもきっと、それにわたしは気づかない気がする。
この瞬間にしか現れない自分っていうのは、自分自身しか感じてないものだと思うので。

実家に眠っていたホームベーカリーをお借りしてきた。
高円寺からかついで電車に乗り、かついで家に帰った。
すごく重くて、「鬼滅の刃」の炭治郎になった気持ちだった。
明日作ってみようかな〜。
捗るリモートワーク。
捗る家事。
今日は家でちょっと筋トレもした。
人生はまだまだ長い。と思う。
今日のオフィス。
8人くらいしか5階のフロアにいない。

2020/04/18

在宅勤務の日々

久しぶりに会社に出た。
会社は4分の1くらいの人が出勤してて、過疎ってるな〜と感じる。
一般職は最大週二回までの出社はOKだが、他の日は在宅が基本。
社内でできることは社内で片付け、PC作業は家でやる。
家で仕事するときはラジコでJ-wave聴きながらやってる。
会社もJ-wave流れてるからね。
在宅勤務はできない、疲れるって人もいるし、こっちの方がいいって人もいるし、個々のリズムってそれぞれだなーと感じる。
アパレルは厳しい状況になりそう。
服なんて買っても出かけられないし、お金はないし、仕方ないわな。
本当に大切なものが見えてくるなぁって思う。

来週も何回か出るけど、この仕事って意味あるのかなとか考えちゃうんだけど皆はどう思ってるんだろ。
この生地、日の目を見ることはあるのだろうか。
展示会にお客さんは来ない。
生産も減るだろう。
これは何になるのだろうって考えてしまう。
モチベーションって、どう保ってるんだろ。

2020/04/13

叫べ、眠れ

旦那は結婚してからいびきをかくようになった。
ストレスだろうか、原因はなんだろう。
入眠がとても早く、布団に入って1分しないうちに「すー」っていいながら寝てる。
でも眠りが浅そうで、よく寝返りをうっているし不意に目覚めている。
「すー」がしばらく続き、いびきをかき始める。
そこまで大音量ではないけど、うるさい。
横でいびきをかくのってうるさいよね、誰かわかりますか。
お父さんは大いびきかきだったんだけど、本人はわからないみたい。
わたしは自分で歯ぎしりしてるのも、寝ながら笑っているのも知ってるけどなー。
いびきがうるさくなると蹴り飛ばしたり(そっと)、叩いたり、布団をかぶせてみたり、猫の鳴き声の真似をしてみる。
そうするとちょっとの間静かになる、けどまたうるさくなる。
いい角度になるといびきをしなくなるので、転がして静かな角度を毎晩探している。
最近はこれに加えて叫び出した。
いつものようにいびきがうるさいのでツンツンしてたら、ちょっと静かになって、急に「うおおおおーーーーーーい」って叫んでびっくりした。
遠くの人に「おーーーい」って言ってる感じだね。
Numbergirlの「I don't know」っていう曲の歌い出しにめちゃくちゃ似てる「うおおおおおおおいいい」があるから聞いてほしい。
後あくびもしながら寝てる。
「ふあああああああ!」って言いながら寝るからうるさい。
たぶん、呼吸が浅い、または睡眠時無呼吸症候群だと思う。
酸素が足りていない。
だから眠りが浅いんだ。
本人に言っても全然改善しようとしないからイラついてる。

でもあんまし言うとまた悪夢をみるからかわいそうで、なるべくそっとしておこうと思う。
悪夢は大体私が出てきて、すごくいやーな感じらしい。
わたしのこと嫌いなのかなあ。

緊急事態宣言が出て、みんなが各々で毎日買い物行かないように、私がまとめて2,3日分買って自炊してみんな同じものを食べる生活になっている。
わたしは在宅だし、ちょうどいい。
なにかしないと思考回路が停止しそう。
昨日はきのこととろろのあったかいお蕎麦、冷凍餃子を焼いたの、お豆腐のそぼろあんかけを作った。
旦那はお酒を飲むからつまめるものがあるといいかな、と思うけどいまいちわからない。
今日はたけのこ、きのこ、にんじんの炊き込みご飯、鮭をサバを漬けて焼いたやつ、きゅうりとシーチキンのサラダ。
炊き込みご飯は土鍋でやると早いし美味しい。
洗うのもべつに大変じゃない。
土鍋とてもいい。
あしたは麻婆豆腐とスープご飯にしよう。

旦那もみんこも喜んで食べてくれてよかったけど、結構無心で作っている。
本当は餃子も皮から作りたいけど面倒で冷凍だったり、皮は市販に頼り、具は手作り、包んで焼いたりはする。
今週どっかでそれやろう、そうしよう。
本当の本当は焼肉食べに行きたい。

2020/04/12

散歩を日課に

今日も旦那と歩いてきた。
近所しか歩かない。
だいたい夕方とか、夜に歩いてる。
一日中家にいるとダメだと思い、歩くことにしてる。
休みの日はジムに行くので忙しかったけど、今はいけないから退屈である。
一日中怖い話を読んでしまう。
よろしくない、散歩に行こうと旦那を誘うと付いてきてくれる。
旦那は散歩が好きらしい。
旦那は土地勘があり、地図も読める、記憶力もいい。
感心。
今日は歩いて15分くらいの公園まで行き、その界隈をプラプラしました。
公園は広くて、子供たちがちょろっと遊んでいた。
公園の隣にはドッグランがある。
ドッグランって言うと、サンドウィッチマンのジムのコントを思い出す。
旦那は芝犬に似てる。
結婚して、一年くらいしてから思った。
ドッグランを見てる旦那を見てたら、なんとなくソワソワしてみえた。
「我慢だよ。」っていったら、「うん。」って言って大人しくしてる。
本当は、舌を出して四つ足で走りまわりたかったんじゃないのかな。
「あれは◯◯、あれは◯◯あれは◯◯、あれは...」ってスラスラと犬の名前を教えてくれた。
(ほとんど忘れたけど)
詳しいね、って言ったら「うん、仲間だからね。」って言ってた。
...。

雨がちょっとずつ降ってきたので家に向かう。
行きは長く感じるけど、帰りはあっという間に家に着いた。

もうそろそろ銭湯に行きたい。
ずっと我慢してる。
行っていいかな?

2020/04/11

これは、3月21日の日記

父が死んだ。昨日死んだ。
父は食道癌だと、2018年の12月に聞かされた(気がする)。
抗がん剤治療をして、岐阜の病院に通院していた。
せっかちなのか、歩くのが早かったのに、凄く遅くなった。
だるそうだった。
2019年の年末に皆で鍋をした。
その次の日かに風呂に入ってて、あったまってたら倒れてしまった。
救急車で運ばれた。
肺炎だったみたいで、厳しかったけど乗り越えたそう。
阿佐ヶ谷の河北病院に入院して、治療。
ほぼ寝たきりになり、起き上がるのもやっとになっていく。
リハビリを...って母は考えてたけどそんなレベルの話ではなかった。
動けないし歩けない。
具合も悪くなったらしく、父は自ら「なんかおかしい」と医師に相談したら、胸水と腹水が溜まっていて、さらにリンパ癌も大きくなっていた。
それが三月頭で、河北から転院を考える。
患者自ら訴えて初めて診察するなんて、って母は言ってた。
ところが、どこも受け入れてくれない。
転院先が無い。
それをきいたとき、まずいかもなって思った。
14日、河北にお見舞いに行く。
なにを話してるか、わからない。
でもよく話してる。震えてる、って思ったら心臓の鼓動で全身が揺れていた。
目も9割閉じていた。
母が病院と相談して、荻窪のホスピスに移った。
治療はもうしない、緩和ケアのみをしてもらう。

わたしはずっとずっと言わなきゃいけないことがあって、ずっとずっと考えてた。
早く言わなきゃ。
そう思ってて、ずるずる延びてった。
1人じゃないと、言えないって思ったから一人でホスピスに行きたいって母に言った。
ホスピスに移ったのは、多分17日か18日で、みんこは19日にお世話になった人と、母の三人でお見舞いに行った。
わたしは仕事だったので、20日の金曜日に行くことにした。
土曜日でも良いかなって思ったけど、なんとなく金曜日に入れた。
早起きして筋トレして、それから中井駅から西武線に乗った。
上井草から歩いて15分くらい。
綺麗な病院。
綺麗なフロアから207号室へドキドキしながら向かう。
ドアは空いてたのでスーッと入る。
お父さんは、タンが絡んでるみたいで、呼吸をしながらゴホゴホ、ごろごろ言ってる。
体力がないと咳もできないみたいで、常にタンが絡んでる。
苦しそうだなー。
「こんにちは」っていって、ベッドの横に突っ立った。
なんか喋ってる。
よく喋る。
わからない...わからないよお!
なんとなーく、「なになにをよろしく」っていうのと、「これはこうすること、覚えた?言ってみろ。」みたいなことを話してるような。
ベッドを少し起こしてっていうのはわかったので、少し起こした。
酸素マスクをしてて、管の先を見たら戸棚の中に酸素供給の機械があった。
その下に、多分タンを吸いとる吸引器があって、少し血が混じってる液体が入ってた。
吸引は痛いらしく、嫌がるみたい。
一時間半くらい、横にいた。
わたしからは特に話しかけない。
父は頑張って話してくる。
ほとんどわかんないけど、うんうんってうなずく。
ああ、わかったら!なにを言いたいかわかったら!
椅子に座りながら、様子を見たり、遠くを見たり、鼻をかんだり。
4時に母が来るって言ってたから、のんびりしてたら3時過ぎに来た。
早いな!
1番言いたいことまだ言えてない。
母は察しがいいみたいで、席を外してくれた。
父がなんか喋ってたけど、ぶった切って言ってきた。
大きく、はっきり言った。
なにを言ったかは言わない。誰にも言わない。
でも、父は、「うんうん、いいよ、わかったよ。」みたいな反応だった、あんまし覚えてない。
言うのに必死だった。
でも、伝えられて、わたしはそれで救われたから良かったなって思った。
ただ、それが言いたくてずっと言いたくて、意識があるうちに言えて、良かった。
わたしは都合がいいから、これでいいってことにしよう。

いま、家にいたけど外に出て、歩きながらお酒を飲んでる。
お通夜は形式上ないから、これがわたしのお通夜。
大嫌いだったし、ずっと大嫌いだけど、死んでしまうと不思議な、別物の感情が生まれるな。
家で泣きたくない。
しめった空気が嫌なんだよ。
でも、涙が止まらない。

わたしがお見舞いに行ったその日の21時過ぎに亡くなってしまって、病院から電話があったから急いで行ったのに電話から10分で逝ってしまった。
やっぱり、せっかちだなぁ。
亡くなったあと、酸素供給の戸棚を開けたら、タンの吸引器の液体が増えてた。
どうか、苦しんでないことを祈る。

お疲れ様、と声をかけた。
あと、よろしくとこれはこうしろ、のところなんて言ったのか教えてほしい。
そう声をかけた。

いま、かなり参ってる。
早く涙が枯れて欲しい。

享年64歳でした。
早いけど、わたしは苦しむ時間が短い方が良いと思うので、これくらいかなって思います。
お父さん。後悔先に立たずだよ。
なぜ検診に引っ掛かったときすぐに病院に行かなかったのか。
なぜタバコとお酒を減らさなかったのか。
自業自得だよ。
反省しなさい。
お母さんに感謝しなさい!

その言葉は、わたしにも同じことが言えるってこと、知っている。